陸前高田市訪問

2012年07月23日

平成24年7月21日~22日の2日間、平成7年に市町村アカデミーで一緒にまちづくりについて勉強をした仲間とともに陸前高田市を訪問しました。

仲間の一人Kさんは、昨年3月末で陸前高田市役所を定年退職のはずでしたが、3月11日に起きた東日本大震災のため、今年3月末まで1年の定年延長をされていました。

Kさんも市内にお住まいで被災され、家屋1階が津波のためメチャクチャになり、自分は市役所の仕事をしなくてはならないため、ボランティアの皆さんの助けで何とか整理が出来たとお話されていました。(ご自宅に立ち寄らせていただき、災害当時の写真も見せていただきました。)

3月11日当日、Kさんは大船渡市に出張中で、地震後にすぐ車で地元に引き返したが津波が襲ってくるのを見たため高台に非難して難を逃れたそうです。

写真のとおり、海岸線の瓦礫処理は概ね片付いてはいましたが、鉄筋の建物(旧市庁舎、警察署、ショッピングセンター、体育館、病院など)は災害時のままで、震災復興計画では、第1期として消防庁舎の建設、市街地区画整理事業計画策定、災害公営住宅用地取得などの基盤整備を2013年度までに行い、2014年度から5年間をかけて第2期事業として個別に事業を進める予定とのことでしたが、地元経済の中心となる港湾整備や長い海岸線をどうするのか?、南三陸鉄道はどうするのか?、動脈となる道路はどうするのか?、地元経済の振興はどうするのか?等々もっとスピード感のある復興をしなくてはならないと感じました。

「奇跡の一本松」は、この8月から保存対策に着手され、7万本、延長2kmの高田松林の復元も計画されているようです。 陸前高田だけではなく、延長数百キロに及ぶ東北地方太平洋側にお住まいの方々が、一刻も早く安心して住まいできる環境の整備をしなくてはなりませんね。(消費税増税には熱心な民主党ですが、ほぼ通常の手続きでしか復興計画に着手が出来ない状況。 被災地元のためにもっと政治が力を発揮しなくてどうするのか!)

今も、ボランティアセンターにはボランティアに訪れる方々の姿を見かけました。(少しづつ片づけが進むのもボランティアの皆さんの力があればこそです。絶対にボランティアの中心となる組織、場所が地元にも必要と再確認しました。)

私たちが住む近畿地方は、発生確率が高くなっている東海、東南海地震に備えてあらゆる可能性を考えて減災対策に取組む必要があると感じた2日間でもありました。

コメント & トラックバック

清水様
 ご活躍ご苦労様です。いつも 「通信」も拝読しています。
 東海南海地震発生の危険についての記述がありましたので、一言お願いです。
 
 現在、私の住んでいる自冶会に隣接して宅地開発が進められています。

当自冶会は道路が車の出入り口が一本のみで、このまま道路の出入り口部分が狭いままで開発されると、袋小路状の中に多数の住民が居住することになって、災害退避混乱時に甚大な被害が出る恐れがあると思えます。
 町に対する要望書を提出する予定です。別途、清水さんあてのメールで添付送付します。どのように動けばよいのか判っていませんので、ご指導いただければ幸いです。

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